「ぶりぶち」は「城跡」または「はじまり」を指す波照間の方言であるといわれる。
昭和47年に復帰祝いとして造られた公園。下田原城の跡地にもなっている。
下田原城は、15世紀から16世紀にかけての中国の青磁器片が出土していることから、この時期にはすでに築城されていたものと考えられているが、築城の正確な年代や、だれによって築かれたのかは不明。
下田原城の規模は東西150メートル、南北100メートルに及び、崖上に野積みの珊瑚性石灰岩で造られた城壁に囲まれ、8つの郭状遺構が形成されている。また、遠見台、石室、井戸などの跡も残っている。
昭和47年に復帰祝いとして造られた公園。下田原城の跡地にもなっている。
下田原城は、15世紀から16世紀にかけての中国の青磁器片が出土していることから、この時期にはすでに築城されていたものと考えられているが、築城の正確な年代や、だれによって築かれたのかは不明。
下田原城の規模は東西150メートル、南北100メートルに及び、崖上に野積みの珊瑚性石灰岩で造られた城壁に囲まれ、8つの郭状遺構が形成されている。また、遠見台、石室、井戸などの跡も残っている。