歴史・文化

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唐人墓

バウン号事件で非業の死を遂げた中国人の霊を祀った墓です。
バウン号事件とは、19世紀中頃、中国からアメリカへ向かう商船バウン号内で、虐待に耐えかね暴動を起こした中国人たちが、船長を撲殺したため石垣島に置き去りにされ、その後、派遣された英国軍隊によって、殺害、あるいは捕虜にされた事件を言います。

730(ななさんまる)交差点

730とは昭和53年7月30日に沖縄県でそれまでアメリカと同じ車は右通行だったが、日本と同じ交通方法に変更されたのを記念してこの碑は平成20年7月30日に建てられた。

今ではここで記念撮影する観光客が多い有名な場所になる。

武士家(ぶしんやー)

武士家(ぶしぬやー)は昔、武士が住む屋敷の跡だと言い伝えられる場所。
この石積みは復元されたものです。

日本最南端の碑

日本最南端の有人離島である波照間島では「日本最南端の証」も発行されている。
1975年に本州から来た学生が建てたと言われている日本最南端の碑は、日本の国旗と並び、写真スポットにもなっている。
またここには、全国から持ち寄った石で造られた遊歩道のような道があり、その先には「幸福の石」と呼ばれる石がある。
この石にとしの数だけ石を投げると願いが叶うと言われている

オヤケアカハチの碑

オヤケアカハチ(遠弥計赤蜂、於屋計赤蜂)は、石垣島の大浜村(現在の石垣市大浜)を根拠地とした15世紀末の豪族で、彼が生まれたのが波照間島。その生誕碑です。
オヤケアカハチは、島民の広範な支持を背景に、中山王府(当時の琉球政府)への八重山からの朝貢を断たしめたが、中山軍3,000人との戦いに敗北し、討ち取られた。
これを、オヤケアカハチの乱という。

コート盛

琉球王朝時代、海上監視や船の通報の為の火番所であったのが、ここ「コート盛」上には方位の十二支を刻んだアザミサンゴがある。
明治に入って測量が開始された時にはここが基準となりました。
上からは西表島までよく見えるので、是非登ってみてください

ぶりぶち公園

「ぶりぶち」は「城跡」または「はじまり」を指す波照間の方言であるといわれる。
昭和47年に復帰祝いとして造られた公園。下田原城の跡地にもなっている。
下田原城は、15世紀から16世紀にかけての中国の青磁器片が出土していることから、この時期にはすでに築城されていたものと考えられているが、築城の正確な年代や、だれによって築かれたのかは不明。

伊古桟橋

伊古桟橋
八重山でもっとも長い桟橋です。2005年(平成17年)12月26日に国の登録有形文化財に指定され、黒島の名所ともいえます。
黒島港から東に進み、伊古集落の海側にあります。大正時代に木造の桟橋としてはじまり、現在までにコンクリート造りに増設を繰り返し、全長354mもあります。
すぐ近くには昔ながらの木造漁船もあり、とってもフォトジェニックなスポットですよ。

プズマリ

黒島の宮里海岸のすぐそばにある史跡「プズマリ」は、琉球王朝時代の遠見台。プズマリは、いわゆる先島諸島火番盛(さきしましょとうひばんむい/平成19年3月23日に国の史跡に指定)と呼ばれ、先島諸島の13の島々(2市2町1村)に全18箇所点在する遠見番所です。ここから海上を監視して、何かあったら狼煙をあげて知らせていたようです。現在、石積みが自然に朽ちていて足元が危ないので、上まで登るのは禁止のようです

比江地御嶽(ひえじわんうたき)

黒島のど真ん中、島のへそともいえる位置に建立されている東筋集落の聖地・比江地御嶽。
旧暦8月には五穀豊穣を祈願する結願祭や年中行事の御願事が行われる大切な場所です。
朝陽が昇る頃、ご来光を浴びると清々しい気分になって心地良い場所でした。

小浜島民俗資料館

小浜島の歴史と民俗資料およそ300点が展示されている。
特にお祭りで使われる衣装やお面等が多い。
一度足を運び島情報を収集するのもお勧め。

クスクムリ

琉球王府時代の火番所 登れば辺り一面景色が見渡せます。

唐人墓(とうじんばか)

1852年、中国人労働者を乗せアメリカへと航行中のアメリカ船ロバートバウン号が石垣島沖に座礁し、多くの中国人労働者が島に上陸し疫病者などが続出しました。1971年、その中国人の霊を慰めるため島民の手によって唐人墓が建てられました。

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